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2010年10月 Archive
元気な日本復活特別枠パブリックコメントがオープンしています。
- 2010年10月 9日 08:19
- アナウンスメント
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横浜トリエンナーレ2011 キックオフミーティングが実施されました。
横浜トリエンナーレ2011 キックオフミーティングが実施されました。 待ちに待った次の横トリの第一歩です。このシンポジウムの様子を簡単にレポートします。
- 日時:2010年10月2日 15:00から
- 場所:ヨコハマ創造都市センター(YCC)
司会は横トリ2011の総合ディレクターとして正式就任した横浜美術館館長の逢坂さん。若々しくもかっこよく仕切っていました。この様子であれば風通しのいい現場となりそうです。
最初のトークはリバプール・バイエニアルという英国のアートプロジェクトの代表者、ルイス・ビクスさんの活動報告。アートは美術史のコンテクストと密接に結びついているものであり、これから離脱をするのであれば街中への展開は有効な手段、など興味深い意見があった。
しかし、おおむね英国の状況の説明であり、「英国ではアートはネガティブな捉えたかをされている」、「新聞を含めサービスが無料になる傾向がある。美術館も同じ」など日本とは違った環境を印象づける言葉もありで、横トリに対してはあまり参考にならなかった。
そもそもこの方を呼ぶことになったのはブルティッシュ・カウンシルの特別協力のオファーか?との疑問が浮かんだ。
しばしの休憩を挟んで、過去3回展のディレクター(南條、川俣、水沢)と新アートディレクター(三木)を迎えてのパネルディスカッション。(括弧内敬称略)
それぞれのご挨拶トークが済んでから逢坂さんによる、「世界と日本のビエンナーレ/トリエンナーレについて」の歴史的経緯を含む説明があった。それを踏まえてこのシンポジウムのテーマは「トリエンナーレはいかに継続できるのか/継続する必要があるのか」であることが表明された。
さらに、三木さんが横トリ2011のテーマは、あくまで仮ではあるが「世界をどこまで知ることが出来るのか」であると述べ、ちょっとワクワクしました。本来アートがもつべき疑問であり、今日的であり、すばらしいテーマだと思います。やる気のある作家であれば挑戦心をかきたてられるオファーではないでしょうか。
その後、逢坂さんから各パネリストに「美術館が会場であることについてどう考えるか」という問いかけがされました。
美術館がビエンナーレ/トリエンナーレの会場であることは珍しいことではない。低コストというメリットがあるが特徴がなくなるというデメリットもある。横浜美術館の建物については中央のホールをどう使えるのかがポイントだろう。(南條)
美術館はインフォメーションセンターであり、そこから街中へ出かけていくための拠点となるのがいい。(川俣)
市民とアートのわずかな接点が美術館。トリエンナーレによってそのあり方を捉え直すいい機会となればいい。(水沢)
毎回終了と同時に消えてなくなるトリエンナーレではなく、何かが継続的に残るものとするためには美術館が関わることは必要。しかし、予算的にも運用構造的にも難しいらしいが。(三木)
次の逢坂さんの問いかけは「横トリの運営主体はどうあるべきか」というもの。
ようやく美術館が使えるようになり、拠点ができたことはことは素晴らしいこと。(水沢)
地域と深く関わって実施しているビエンナーレ/トリエンナーレは実は世界には珍しい日本特有のあり方である。そのようなアートイベントが継続していくためにはトリエンナーレのない中間年の活動が重要であり、そのためには地域との関わり作りが重要である。行政の動きとしてそれが難しければ組織委員会の法人化も検討したらどうか。そうなれば行政も市民(ボランティア)もお互いに依存しないで活動するようになる。(川俣)
トリエンナーレの事務局には専任のスタッフが必要である。できれば美術館の学芸員が専任担当となるべき。あいちトリエンナーレではそうしている。(南條)
質の低いビエンナーレ/トリエンナーレの中には図面を送るだけで作家が来ないものがある。ところが、瀬戸内芸術祭や越後妻有大地の芸術祭ではよろこんで来る作家が多い。それはサイトスペシフィックが魅力になっているからだと思う。(三木)
その三木さんが川俣さんに「どうしたら作家に現地に来てやる気を出してもらえるのか?」と質問。
建築のイベントではよくある方法だが、コンペ形式にすれば作家は来る。作品を作りたい場所を自分で選ばせるという形式が有効。またはプロジェクトベースであれば長期間作家はその場所に関わることになる。(川俣)
同じ作品を3年後にも展示したらどうか。作品は変わらなくても観客は変わるものだから。(ルイス)
運営主体の問題を取り上げたことで、逢坂さんは横トリの問題についてよくわかっているなと思えた。
毎回、終了すると組織委員会が解散し、市役所の担当者が配置換えになる。その結果、ノウハウが蓄積・継承されず、人間のつながりが解消される。毎回、これはよくないことなのでアーカイブの重要性が提案されても実施されたことはない。
それで世間からすれば、忘れた頃にまたやっているあのよくわからないアートイベントという認識になり、ゼロから広報活動を再開せざるを得ない。
トリエンナーレベースのような中間年も存続する継続的な組織や運営態勢ができれば市民の関わりが落ち着いて厚みを増すのではないかと思う。
ここまでで時間切れで最後に会場からの質問があったのだが、その中で「よい展示会とはどのように評価するのか」というのがあった。
よい展示会とは何度も見たくなるもの。リピーターが出来るもの。 よい展示会かどうかはガードマンに聞くのが一番正しい。
私の看視ボラの経験からそれは正しいと思った。
シンポジウムの様子は多くの方々がTwitter中継をしており、 #Triennale2011YKHM も参考にしてください。臨場感があります。
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